千夜一枚  ◆ ピアノ ◆

ベートーべン ピアノ協奏曲 第4番 Op.58  
コヴァセヴィチ(P) デイヴィス BBC交響楽団 録音F  
PHILIPS 475 6319(セット)

ベートーべンの弾き方は限られているように思います。別の言い方をすると我々がベートーべンの音楽に求めるものはそれほど多様ではないと思うのです、過去の大指揮者達の録音が重宝がられているのもその証かもしれません。コヴァセヴィチに、まだビショップというミドルネームが有った頃に録音したベートーべンの作品は、どれも私がベートーべンの音楽から感じる『寂しさ』『強さ』『憧れ』等がそのまま少しの相違もなく表現されています。彼の音の美しさと音価・強弱の対比や速度の選択の全てが、この作曲家の音楽に合致しているのです。協奏曲は全曲を、デイヴィスの独奏者の意図を十分に理解した伴奏で残していて、中でも先に述べた『寂しさ』『強さ』『憧れ』等を最も強く感じさせる第4番の協奏曲が当然のように最高の出来映えになっています。録音の良さも格別で、奥行の深い空間に広がる柔らかくも芯の有る響きはPHILIPSレーベルの比類の無い魅力でした。 (10.3.6)

ベートーべン ピアノ・ソナタ 第8番 「悲愴」 Op.13    
スティーブン・コヴァセヴィチ 録音G
   PHILIPS 456 877-2

最初の恋人のことが忘れられない。そのように音楽においても最初に聴いた演奏がスタンダードとなって以後の嗜好を支配することが多いように思います。しかし私がコヴァセヴィチのレコードと出会ったのは比較的新しくCD発売間近の80年頃でしたが、このビショップ(当時はそう呼ばれていました)の弾くベートーべンやブラームスはそれ以前の演奏の記憶をリセットするかのように、隅から隅まで私の嗜好のままだったのです。「悲愴」ソナタの第2楽章はこの作曲者の最も有名な旋律のひとつですが、特にこの楽章でのコヴァセヴィチの、心の底で弾いているような内省的な演奏は決して他で聴くことはできません。また両端楽章における澱みなく流れる音楽も清潔で美しく、それは彼が美しい音以外は極力控えて、リズムや不協和音を殊更強調することを避けた結果でした。しかし残念ながら彼からビショップという名前が消えた頃からその特徴も消え去ってしまいました。青春の涙の一枚。 (.10.5.5)

ブラームス ピアノ協奏曲 第1番   
バレンボイム(P) バルビローリ ニューフィルハーモニア管弦楽団 録音F  
EMI 5 72649 2 1

『青春の後姿を、人は皆、忘れてしまう』 ブラームス25歳の時の作品を、1967年にちょうど同じ年齢であったバレンボイムが弾いた録音です。この曲は誰もが経験したはずの「青春の憧れと悩み」が表現されたセンチメンタルな作品ですから、それを忘れてしまった演奏では困ります。またブラームスの協奏曲は独奏者を偏重することなくオーケストラと同じ目線に座らせるような曲ばかりですから、いかに両者が競争せずに協奏するかも大事で、この指揮者の、バルビローリ節と呼ばれた晩年の決して急がずに優しく過去を懐かしむような表現は、ここでは最良のアシストといえます。全曲を通じて多用される上昇音形には「寂しさ」と「慰め」の感情が込められていますが、この両者の表現は他の手本となるべきものでしょう。CDを聴く際には音も大事な要素ですが、遠くをボカせてソロとブレンドさせたEMI独特の録音は、付かず離れず暖かく若者を見守っているような理想の響きです。惜しむらくはクラリネット奏者が音の好み云々以前に音楽の流れに棹差していて、当時のイギリスの奏者には落胆するばかり。 (10.2.11)

ブラームス ピアノ協奏曲 第2番 Op.83  
アシュケナージ(P) ハイティンク ウィーン・フィル 録音I  
DECCA 410 199-2

青春の苦悩に満ちた神経質な「第1番」とは反対に、この曲の演奏には開放感が必要です、日向ぼっこの雰囲気が一番近いでしょう。それはアシュケナージのピアノで聴くと良く判ります、深刻さのかけらも持ち合わせない彼は「第1番」では最初にソロがおずおずと入ってくる部分で既にぶち壊していますが、こちらではそれがプラスに働き、特に偶数番の楽章での落ち着いた速度設定が成功しています。また最終楽章はもちろんのこと、この曲の隅々には燦々と降り注ぐ陽光への感謝が必要で、その点でも両者の演奏は申し分ありません。ところでこの82年の録音ではホルンの3番パートをローラント・ベルガーが充実した音で吹いていますが、ポリーニと録音した76年には彼は首席奏者であり冒頭のソロを受け持つ1番パートを吹いていました。両者を聞き比べると一目瞭然、内声の厚みが大きく異なっていて、この曲における3番パートの重要性が良く判ります。録音の優秀さも特筆もの。 (10.3.7)

ショパン ピアノ協奏曲 第1番   
アラウ(P) インバル ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 録音F
   PHILIPS 432 654-2

この曲の最初の楽章はオーケストラの前奏部分が長いため便宜上ショパン・コンクールなどでは短縮されますが、昔の大物もよく利己的にカットしていました。しかしそれではこの曲の魅力は半減どころか無いにも等しくなります。当時は音楽は見に行くものだったでしょうが現在は違います、家庭で誰にも妨げられずに良い音で楽しむという方法が確実に加わっているのです。また、いくら伴奏の譜面が面白くないからといって、この協奏曲のように最初から終わりまで聴衆の心に訴え続ける音楽に、いいかげんな伴奏を付けられても困ります。メータを筆頭に多くの無関心伴奏が存在する中で、このインバルの指揮は実に内容の濃いもので、前奏部分の丁寧な歌わせ方は独奏が入ってからも単なる伴奏に終わらず、かといって自分本位の音楽を展開するわけでもなくアラウの音楽によく合わせてメリハリを付けています。アラウは録音当時絶好調の67歳、そして91歳まで録音を続けました。 (10.6.27)

ショパン バラード 第1番   
ウラディミール・アシュケナージ 録音H  
DECCA 452 579-2 (2CD)

ポランスキー監督の映画「戦場のピアニスト」にとても感動して、主人公がこの曲を弾く辺りから最後までは何度も観ました。しかし当時私は恥ずかしながらこの曲を知らず、ネット上で師と仰ぐ方から曲名を教えて頂いたのでした。そして良い演奏を探した挙句にたどりついたのが、このアシュケナージ盤でした。昔々、ピアノ音楽に対する何の知識もなくレコードを売っていた頃、店で大音量でかけているアシュケナージのキング・レコード盤は、やたらと暴力的な音に聞こえ、以来ずっと彼のピアノを敬遠しておりました。時は流れて、現在私は柔和な音しか出ない懐古オーディオ機で最弱音で楽しんでいますが、彼のピアノの音は美しく、その音楽はナイーブ過ぎもせず無表情過ぎもせず「男の純情」を感じさせてくれます。再生音も最高で、これが国内盤CDだとこうはいきませんから不思議です。このCDには映画の冒頭で弾かれる涙無しでは聴けないノクターンも入っていて大切な一枚です。 (08.9.4)

モーツァルト ピアノ協奏曲全集   
ペライア (ピアノと指揮) イギリス室内管弦楽団 録音G 
SONY 82876872302

ペライアのモーツァルトのコンチェルト全集は、どれもうっとりするほど悩ましい美しい音に満ち溢れていて、中でも普段あまり注目されていない曲が、まるでペライアによってリメイクされたかのように新鮮に聞こえます。例えば11番K.413の協奏曲は26番「戴冠式」と共に、聴き手に迎合して作っていると言われていてあまり人気のない曲ですが、偶然にも特にこの2曲においてペライアの心のこもった美音が存在価値を押し上げているように思います。私はこの演奏を聴いて初めてK.413の終楽章の主題が「フィガロの結婚」の「手紙の二重唱」(映画「ショーシャンクの空に」の中でも効果的に使われていた曲)に似ている事が判りました。おそらくペライアの音に影響を受けたイギリス室内管弦楽団の弦が、この主題を優雅に弾いているからだと思います。この楽団の技術も、かつてバレンボイムと全集を作った時代からは格段の進歩で、管楽器奏者の交代の結果を明確に聞くことができます。 (10.11.14)

モーツァルト ピアノ協奏曲 第17番 K.453  
マレイ・ペライア (ピアノと指揮) イギリス室内管弦楽団 録音G
    CBS MK36686

モーツァルト邸のムク鳥の鳴声から作られたといわれているメロディをフィナーレに持つ傑作です。第1楽章は意表をつくような、しかし素晴らしいメロディによる開始で、それに続く楽器同士の語り合いは楽しさの極地、続く第2楽章は「ホームシック」の音楽でしょう、切々とピアノが語ります。ムク鳥を事典で調べると美声の持ち主ではなさそうですが天才宅では ピピ ピッ ピッ ピッ ピィ と軽やかに鳴いたのでしょう、終楽章はこのメロディーによる変奏が続き、遂には更にテンポを上げて爽快なエンディングを迎えます。このペライアのCDは、バレンボイムと同じ環境での演奏でありながらも、余分な動きから開放された楽団からは見違えるような自然体の音楽が聴け、ペライアのピアノの音の美しさ、レガートとスタッカートの対比による清潔なフレージングは、この曲の必須の条件を備えた名盤として語り継がれていくことでしょう。同時収録の第18番の悲しい旋律による第2楽章も絶妙です。 (09.9.12)

モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番 K.466  
内田光子(P) テイト イギリス室内管弦楽団 録音I
   PHILIPS 416 381-2

1985年10月の録音ですから発売後20年以上経過しています。このCDも商売柄発売時から付き合ってきたのですが、このピアニストを視覚的に嫌っていた私は、ただそれだけの理由で、きちんと聴いていなかったのですから本当に情けないことです。この演奏を賞賛するには幾ら言葉があっても足りないほどですが、先ずフィリップスの録音技術の優秀さを挙げましょう、豊かな間接音の中で芯のある音が録れています。演奏者の、モーツァルトの曲に頻出する付点音符のリズム処理も良く、レガートもスタッカートも美しく、第2楽章の冒頭では絶妙のテーマを聴くことができます。中野雄氏の記述(文春新書)によると楽器の調律が通常の平均律と違うそうで、難しいことは良くわかりませんが特にピアノの音の美しさは格別です。フィナーレはベートーヴェンの音楽のように「絶望から歓喜へ」を表現する音楽ですが、その結末が歓喜の行進曲であることが、この演奏で初めて判りました。  (10.10.2)

モーツァルト ピアノ協奏曲 第20番 K.466  
アシュケナージ(P) イッセルシュテット ロンドン交響楽団 録音G  DECCA 417 726-2

アシュケナージは自身の指揮とピアノでモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲録音を完成していますが、それより前の1968年にイッセルシュテットの指揮で、この20番(と6番)が指揮者の息子のエリック・スミスのプロデュースで録音されました。この演奏におけるソロとオーケストラの音の絶妙のバランスや、ピアノの音の美しさは数ある同曲の録音の中でも最良のものです。そしてアシュケナージが指揮も兼務した演奏と比較すると良く判りますが、余分な配慮が不必要なためでしょう、ピアニストに窮屈なところが無くオーケストラの演奏も自然です。もちろん指揮者との良好な関係の上に成立するのでしょうが、当世流行の、モーツァルトの協奏曲でのソロと指揮を兼務することの虚しさが如実に感じられる演奏です。「でもモーツァルトは自分で弾き振りしたんだぜ」という声が聞こえてきそうですが、彼の場合は自分が作った曲だったのですよ、楽譜も出来上がっていないことが多かったそうだし。 (10.10.1)

モーツァルト ピアノ協奏曲 第24番 K.491  
カサドシュ(P) セル クリーブランド管弦楽団 録音G
  CBS MYK 38523

モーツァルトの僅かな短調の協奏曲のうちの貴重な1曲で、悲痛な楽想の両端楽章に挟まれた「しばしの雲間の陽光」のような第2楽章の美しさは格別です。モーツァルトのピアノ協奏曲のうちクラリネットの入った曲は22、23、24番の3曲で、いずれも内容が濃く、またカサドシュとセルによって録音されていますが、そのうちマルセラスの美しい音が聴けるのはこの24番だけなのはどうしてでしょう。22と23番はほぼ同時に録音されていて、演奏はクリーブランド管弦楽団であるものの契約の関係で「コロンビア管弦楽団」と表記されていると言われていますが、私がそれを信じていない理由のひとつがこの件です。所持している新聞紙のようなジャケットの盤はAAD(デジタル変換しないでそのままマスターを製作する)という過去の技法で作られていて柔らかい音が楽しめます。ノイズを除去するために考案された方法が、過去の美しい音さえも消去してしまったことを証明する1枚でもあります。  (10.5.22)

モーツァルト 2台のピアノのための協奏曲 K.365  
ペライア(P) ルプー(P) イギリス室内管弦楽団 録音G 
SONY 82876872302(全集)

この曲の生い立ちについては諸説あるようですが、姉のナンネルと弾くために作ったという説を信じたいような気にさせる楽しい曲です。しかし開始早々の9小節目の頭に、なんとなく音符の欠落があるような気がするのは私だけでしょうか(32まで数えて、その次です)、どの演奏を聴いてもこの部分でヨロけてしまいます。さてペライアとルプーは仲の良い友人だそうですが、作り出す音楽は全く違います。軽やかで歯切れの良いリズムのペライアに対しルプーは丁寧な音作りを身上とするようで、それぞれの個性の融合は、まるで真面目な姉と茶目っ気たっぷりの弟のデュオを聴くようです(だからといって決してボケたり突っ込んだりしているわけではありません)。この演奏の特徴は第3楽章冒頭に集約されていて、溌剌としたリズムに楽しさが極まります。また曲全体に聞き慣れない楽器の音が聞こえますが、これはクラリネットで、作曲者が後に付け加えた版を使用しているそうです。  (09.10.17)

モーツァルト ピアノ・ソナタ K.331「トルコ行進曲付」   
マレイ・ペライア 録音H  
SONY CLASSICAL SK 48 233

モーツァルトとベートーヴェンの曲はきっと相容れるのが難しい音楽に違いありません。オーケストラの演奏会においては両者を同一のコンサートで演奏することは少ないようですし、プロのピアニストの場合でも自分自身のレパートリーにおいて両者を等分に持つことは少ないように思います。このように明確に区分されるのですから、聴く側の素人愛好家がそれを指摘してもまんざら間違いではないでしょう。正直なところペライアにはモーツァルトが、コヴァセヴィチにはベートーヴェンがぴったりで、逆の録音も存在しますが、そちらはあまり感心できません。私は長い間このソナタの「トルコ行進曲」の楽章が小細工せずにピュアな演奏で録音されることを望んでいました。ポミエの演奏は力を抜き過ぎ、逆にグールドはもちろんバックハウスもバレンボイムもブレンデルも皆どこかで演奏者の力みが見え隠れします。ペライアの演奏で初めて良い演奏に巡り合ったような気がしました。 (10.3.20)

モーツァルト ピアノ・ソナタ K.333  
ジャン・ベルナール・ポミエ 録音G  Virgin Classics(EMI) 7243 5 61684 2 8 (全集)

「おむすびころりん」のような下降音形のメロディで始まるK.333のソナタが大好きで、これまで浮気をしながら色々なCDを聴いてきましたが、いつも、ポミエの、まるでオルゴールの音のような穏やかで優しい演奏に戻ってしまいます。この優しさは、きっと窮屈なテンポや必要以上の強音を一切排除したことで生まれたのだと思います。ところで最近グレン・グールドのCDを入手してそのテンポのあまりの速さに驚きました。どれだけ速いかというと第1楽章提示部の繰り返し記号まで普通は2分程度、ポミエは2分18秒もかけているところをグールドは1分22秒で弾いています。これでは慰めどころではありません、背の毛を逆撫でされた猫のように怒ってしまいました。ポミエの弾く「トルコ行進曲」ソナタK.331の第1楽章やハ長調のソナタK.330の第2楽章、そしてこのK.333は慰めの音楽の極致で、朝聴けば清々しい一日を予感させ、夜の帳が下りる頃なら安らかな心が約束されるのです。 (10.1.23)

ラヴェル 「亡き王女のためのパヴァーヌ」   
アンヌ・ケフェレック(P) 録音H
  Virgin classics 5 61489 2

夏が来ると必ず思い出すのが、新潟の北端・山北町にある「笹川流れ」という透き通った水で有名な海岸で遊んだこと。そしてその近くの山道で見つけた絵にも書けないほど美しい小川のせせらぎです。時の流れを忘れたかのように秒速20cm程でゆっくりと流れるこの川にオフェーリアを浮かべれば、きっとこのジャケットのような風景になったことでしょう。残念ながらこの川はもう元の姿を留めていませんが、このケフェレックのパヴァーヌを聴くたびにその風景が思い浮かびます。ケフェレックは1948年1月生まれ、可憐な美しい容姿は現在でも変わっていません。ラヴェルは自身で幾つかのピアノ曲をオーケストラ用に編曲していて一般的にはそちらのほうが有名ですが、私はパヴァーヌに限っては清楚で優雅で悲しみを湛えた美しさの極みともいえるピアノ独奏での演奏を好みます。優しき心からしか生まれないようなケフェレックの演奏、美しいジャケット、優秀な録音、三位一体とはこのこと。 (10.6.6)

「after the rain . . .」 エリック・サティ ピアノ曲集   
パスカル・ロジェ(P) 録音H   DECCA  444 958-2

灼熱の日々に無理に音楽を聴くこともないのですが、ドビュッシーやこのサティのピアノ曲には幾らかは体温を下げてくれる効果があるようです。表題の「アフター・ザ・レイン」が何を指すのか判らぬままに永年愛聴しているこのCD、買った当初はそんな名前の映画があって、そのサウンドトラック盤かと思っていましたが、そうではないようで、しかもこんな大ヒット間違い無しの洒落たCDの国内盤が発売された形跡が無いのもミステリーです。このCDにはロジェが過去に録音したサティのアルバムから静かで心休まる曲ばかりが集められていて、リスナーにとってはオリジナル盤よりも却って嬉しい企画であるといえるでしょう。何に逆らうこともなく、ただ流れるように弾くロジェのサティは絶品で、有名なジムノペディやグノシェンヌの美しさが光ります、欲を言えば「ジュ・トゥ・ヴ(君が欲しい)」も入っていれば良いのですが、タイトルを信じれば心昂ぶらせる音楽なんだから、まあ仕方ないか。 (10.8.11)

シューベルト ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960   
アルフレード・ブレンデル(P) 録音H
    PHILIPS 422 062-2

シューベルト最晩年のピアノ・ソナタですが、彼は30歳を過ぎてすぐに亡くなっているので、老いや諦念を感じさせるものではなく、楽想はナイーブそのもの、いかにも多感な青年の書いた作品であることが伺えます。そしてこの曲には殊更シンプルで美しいメロディーが散りばめられており、とくに最初の楽章の、あの手塚治虫の名作の主題歌にも似た「憧れ」に満ちた第2主題は、初めて聴く人にもきっと感銘を与えることでしょう。さて1970年代にシューベルトのピアノ曲の静かなブームがありました。これは間違いなくブレンデルというピアニストの功績で、彼が録音した多くのシューベルトには優しさ・美しさが溢れていて、楽想の適切な表現や、頻繁に見られる転調における心象風景の移り変わりの表現には誰しも参ってしまったものです。後にペライアも優れた演奏の録音を発表しましたが、ブレンデルの、過剰な盛り上がりを排した姿優しく色美しい演奏に比べ、やや弾き過ぎのように感じました。 (10.6.23)


since 2008.5.15

inserted by FC2 system